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ミニョネット号食人事件

10 01, 2019
1884年、イギリスの大型ヨット、ミニョネット(Mignonette)号は4人の若者らを乗せて港を出港しましたが、その後荒天の海で遭難してしまいます。

その漂流中、遭難者らは一緒に漂流していた仲間(少年)を殺害し食べてしまったのです。 そして彼らは救出後その行為を知られてしまい、刑事裁判として法廷に引き摺り出されてしまいました。 容疑は殺人罪です。 法廷での争点は「自分の命を繋ぐ為に非常事態下で他人を食べる(食人)のは犯罪行為か?否か?」でした。





ミニョネットは1867年に建造された豪華ヨットです。 その全長は現在でもヨットとしては大型(セーリングビッグボート)に分類される全長52フィート(15.8メートル)にも及びました。その巨大な船体は沿岸海域だけでなく外洋も航海するのに適した構造でした。

1884年の7月5日。
4人を乗せたミニョネット号はアフリカの喜望峰の沖合、北西方向に1,600マイル(2,574キロメートル)程度の場所を航行していました。所がこの日、同海域に強風が襲い始めます。 強風は波を荒立て、その波はミニョネット号に次々と体当たりして来ました。



喜望峰からの北西方向の眺め  Google Mapより引用


とうとうミニョネット号のキャビン(船室部分)は打ち付ける波の力に負けて船体から引き剥がされてしまいました。そのキャビンを失ったミニョネット号の船内には海水が流れ込んで来ます。もう沈没は時間の問題だと彼らは判断し、ミニョネット号に積んでいた救命用ボートに乗り移り、破天荒の大海原に乗り出す覚悟を決めたのです。

ところがこの救命ボートの長さは約13フィート(4メートル)というサイズです。大人4人を乗せて荒立つ海に乗り出すには問題がありました。 

しかしその心配を他所に刻々とミニョネット号は沈没に向かっていたので、彼らに他の選択肢は残されていなかったのです。



食料が底を突く



こうしてミニョネット号は沈没、救命ボートに乗り込んだ彼らも行く先のない漂流を続ける事になります。漂流から11日目、彼らの持っていた非常食は底を突いてしまいました。 

漂流から13日目になると最後の水も飲み干しました。 彼らによるとその後更に5日間飲まず食わずで漂流を続けていたとします。



生きる為の食人



漂流から18日目。彼ら4人の中からこんな意見が飛び出しました。
「生き残る為に誰かを食べよう」

そして共食いされる犠牲者を選ぶ方法としてストローを用いたくじ引きをする事に2人が同意したといいます。その二人は最初に食人を提案したダドリーとスティーブンスでした。

残る二人の内ひとりは共食いの犠牲者を選ぶくじ引きを拒否していました。 最後のひとりは船員(デッキボーイ)のリチャード・パーカーです。 パーカーは17歳という若年であり、その身の上は孤児出身というものでした。 

ダドリーとスティーブンスのような富裕層の人間にしてみれば、パーカーのような孤児出身者は自分らよりも下の階層の人間だと思い込んでしまったのかも知れません。その為、パーカーにはくじ引きの権利すら与えられなかったのです。

ダドリイーとスティーブンスはこう言い出したそうです。
「このデッキボーイが共食いの犠牲者となってもその死を悲しむ人間はいない」

こうして
「こいつを食べてしまおう」
という事で決着がついたのです。

パーカーはこの時体力を消耗し切っており抵抗する余力すら持ち合わせてはいません。 彼らはパーカーを押さえ付け、その首にナイフを突き立て「すっ」と引いてしまいました。

喉を切り裂かれた犠牲者は出血多量で間もなく絶命してしまったのです。 そして3人は吸血鬼さながらにその吹き出る血を飲み干し、パーカーの体の肉をナイフで切り取りました。 彼らはパーカーのまだ温かい生肉を貪るように喰い続けていたのです。



救助 そして死刑から恩赦へ



それから4日後の事です。 日付は漂流開始から既に24日目となる7月31日を迎えていました。この日、航行中のドイツ船籍の船が偶然、漂流中のボートを発見したのです。

その救助ボートから生存者3名をデッキに引き上げようとした所、救助ボートの船底が赤く染まっている事に気付いたのです。 その上そこには犠牲者となった少年の食べ尽くされた残骸が残されていたとされます。

生存者3名は共食いが発覚し英国の丘に上がった後、法廷に立たされることとなりました。その際、あまりの残酷行為によって「弁護の必要なし」とされ、弁護人をつける事さえ許されなかったといわれています。

そして法廷は生きている仲間を殺してその人肉を食べてまで生き続けようとした彼ら3名に対して「死刑」判決を下したのです。ところがその後、ヴィクトリア女王自らが彼ら3名に対して恩赦を与えるとしたのです。 その理由は世論でした。ヴィクトリア女王は世論の声に耳を傾けてしまったようです。その世論こそ「非常事態であるがこそ、仲間を殺害してその人肉を食しその生き血を飲み干して飢えと渇きを満たしても致し方ない」という民衆論理でした。こうして彼らは死刑から懲役6か月と減刑を手に入れたのです。


ダドリーとスティーブンスが仲間と一緒に乗っていた救命ボート


「自分が生き残る為に誰かの命を奪ってその人肉を食べてまで自分の生存権が認められるのか?」 それは現在でも言い争いとなるテーマのひとつです。しかもその食人の犠牲者は一番弱い立場の人間でした。 








Posted in イギリス
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Author:chopitonews
海外の歴史的事件や重大事故を記録しています

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