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韓国のシリアルキラー 「華城連続殺人事件」

09 20, 2019
韓国3大事件のひとつに挙げられる程のシリアルキラー事件が華城連続殺人事件です。その被害者は総勢10名。その全員が女性であり、その年齢層は多岐に渡っています。 華城から水原にかけて犯人は犯行を繰り返しました。







被害者女性の生殖器は犯行時に酷く棄損されており、膣内には加害者の精液だけではなく加害者が意図して詰め込んだタバコの吸い殻や果物なども残されていました。

殺害手法はそれだけに終わらず、性器や臀部、乳房まで刃物を用いてメッタ刺しするなどの手口を用いていました。

中には下半身だけでなく乳房も含めて合計9回刺されていた被害者も存在していたのです。 また被害者の着用していた下着を被害者の顔に被せて強姦し殺害、遺体発見時には被害者の顔面に下着が被せられたままの状態の手口も共通しています。




捜査手法



警察の捜査は事件当初から難航しました。 捜査に投入された人員は延べ180万人とも205万人とも言われています。捜査対象とされた参考人や容疑者(3、000人)の合計は21,280人にも膨れ上がってしまったのです。

警察は一連の事件で回収した犯人のものと思われるDNAを日本の研究機関に送り分析を依頼、その結果犯人は単独ではなく複数存在していた可能性を突き止めたのです。 その中にはいわゆる模倣犯の犯行もあったようです。実際に1990年11月15日と1991年4月3日の2件は他の8件とは別の手口を用いた模倣犯によるものと判明しています。

当時の報道などでは「捜査に手詰まり感を感じた警察は霊媒師を頼んだ」という話まで出る程でした。この原因ですが当時の韓国の警察にはDNA鑑定を行える組織も技術もなかった事から警察は捜査に手詰まり感を覚え、とうとうオカルト的捜査にまで足を踏み入れてしまったと言われています。


事件の内容


1986年に発生した事件は1991年まで5年間も続いてしまいました。被害者の年齢と事件発生日は次の通りです。










第1の被害者発生(現場・華城市安寧洞(Annyeong-dong)の牧草地帯)




1986年9月の事です。この年の夏は終わったとはいえまだまだ暑い時期の事でした。

9月19日午後2時、京畿道華城市台安邑の草むらで下半身裸の女性の遺体が発見されました。この遺体はその両足をX字型に折り畳むような姿で放置されていたのです。遺体の周囲には犯行時に脱がされたと思われる被害者の靴下や靴が散乱していました。

捜査の結果、被害者女性は現場近くに住む71歳主婦・李さんであると判明します。家族の証言では「14日に母は畑から収穫した野菜を市場にまで売りに行ったのです。その帰りは遅くなるからと途中にある娘の家で一泊し、翌朝早く帰ったと言います。その直後から母の行方が分からなくなりました。」との話でした。 これが最後の目撃証言となりました。

捜査を進めると被害者は娘の家を出た後に何者かにより拉致され、草むらに連れ込まれた後に下半身だけ衣類を脱がされ強姦、その後に殺害されていた事が分かりました。

失踪は15日、遺体発見は19日という事なので殺害後4日間も草むらの中に半裸の姿で放置され続けたという事になります。 この時、鑑識班は現場周辺で犯人の遺留品を探したのですが何一つ発見されていません。 足痕一つ発見できなかったとされます。

また被害者の遺体は司法解剖に回され検査されたのですが死因は窒息死であり、膣内に犯人の精液は検出されませんでした。





第2の被害者発生(現場・華城市安寧洞陳雁洞/ Jinan-dong )




最初の事件から35日が経過した10月20日の事です。この日犯人は再び犯行を行います。。今度の被害者は25歳の独身女性・朴さんでした。

被害者女性は以前知人から紹介された男性に会いに出掛けていました。 その男性宅で夕食をご馳走になった女性は夜遅い時間だというのに一人で帰路につきます。彼女は土手沿いの道を歩いてバス停に向かっています。 それを最後に彼女のすがたはきえてしまいました。行方は分からなくなります。

失踪から3日後の23日午後2時でした。 近所に住む農夫が子供を連れて出た野良仕事中に出ました。 そして何気なく農業用水路の中を覗き込んだ所、若い女性が全裸姿で用水路のトンネルの中に押し込まれているのに気付きます。

用水路の上側はコンクリート製の蓋で覆われていたので農夫は覗き込むまでそれに気付かなかったと言います。用水路のトンネルの中には足を折り曲げられた状態で被害者女性が露出した局部をこちらに向けた状態で押し込まれ、隠されていたのです。 発見時その女性は息絶えていたといいます。

通報で駆け付けた警察官が彼女を用水路のトンネルの中から引き出しました。 司法解剖の結果、女性の死因は前回同様に窒息死であり、犯行に使われた凶器は生前に彼女が穿いていたストッキングであった事も判明しました。 また被害者女性はその全身を鋭利な刃物を用いて4か所もメッタ刺しされていたのです。

当時の報道によれば被害者女性の死顔は酷く、それは強姦された瞬間の苦痛を残していたとされます。 涙で化粧が激しく溶け落ちており、そこからも強姦されている最中に必死で抵抗した様子が伺い知れました。

また犯人は被害者女性を強姦した後に殺害しており、強姦前か強姦後に被害者の膣内に桃を挿入して弄んでいた事も判明しました。 遺体の膣内には犯人が挿入した桃数個が残されていたのです。

この事件では現場周辺から犯人の物と思われる遺留品が複数発見されています。遺留品としてタバコの吸い殻や犯行時に飲んだと思われる牛乳の空きパック、そして犯人の体毛などが回収されました。 しかし韓国国内にはDNA鑑定を行える施設がなかった事から韓国の警察は犯人の物と思われる精液を被害者の膣内から回収、それを日本の検査機関に送ってDNA検査を依頼していました。

また被害者女性の所持品である衣類は遺体発見現場から少々離れた堤防沿いに捨てられていた所を発見され回収されています。 


※注釈
この華城連続殺人事件で得られた犯人の遺留品(精液、髪の毛、陰毛)などは最低でも3度事件分が日本の分析機関に秘密裡に送られ分析依頼されていた事が分かっています。
 



唯一の帰還者





一連の強姦殺人事件で唯一生存して帰還出来た被害者がいました。 事件は1986年11月30日に発生しています。
45歳女性が30日の日曜日に一人で外出した所を狙われ、何者かがナイフを突き付けて拉致し強姦してしまいます。

その強姦の際に犯人は被害者女性から脱がしたガードルを彼女の顔に被せてから強姦しています。この被害者は強姦されながらも必死に抵抗を試みました。犯人が一瞬怯んだその隙に女性は脱出に成功し、命からがら近所の民家に逃げ込みました。

警察の捜査で被害者女性は皮紐を用いて身体の自由を奪われた事が分かりました。被害者の証言により「犯人は髪の毛を短く刈り込んでおり、それは軍人の髪型に酷似していた。」「しかし犯人は165cm~170cm程度の背丈であり、年齢は25~30歳位。その手はまるで女性のようにとても柔らかかった。」との情報を掴みました。





第3の被害者発生(現場・華城市安寧洞(Annyeong-dong)の堤防)





第2の殺人から犯人は暫く息を潜めていました。 しかしその年も終わりに近付いた12月12日になるとまたもや犯人は活動を開始しました。

今回の被害者も前回同様に若い女性が狙われました。 24歳の工場作業員の女性クォンさんはその日の勤務が終了した後、帰宅途中に犯人に拉致されてしまいます。

12日午後10時30分に女性は自宅最寄のバス停でバスを降りました。 そこから一人で自宅にまで歩いて向かう女性でしたが自宅まで後100メートルという距離で拉致され連れ去られてしまいます。

自宅では夫が妻の帰宅を待ってましたが、その日以降妻は帰りません。 その年も終わり、寂しい気持ちで新年を迎えた夫に悲報が舞い込みます。

それは妻の失踪から4か月が経過した1987年4月23日の事でした。 29歳になる農夫が田んぼの修繕作業中に偶然失踪した女性の遺体を発見してしまいます。

女性の遺体は草むらの中に隠されており、その遺体は野ネズミなどに食い荒らされたり、自然腐敗などもあり激しく損傷や腐敗が進んでいたと言います。

その上、遺体となった女性の口の中には生前彼女が着用していたパンティストッキングが押し込まれていたのです。 その被害者の両手は後ろ手にきつく縛り上げられており、抵抗できない状態で強姦された事が推測できました。

直接の死因は窒息であり、犯人は強姦後に被害者女性の首を絞殺したと判明しました。こうして失踪した妻は4か月振りに夫の元に変わり果てた姿で帰宅を果たしたのです。






第4の被害者発生(華城市正南面/ Jeongnam-Myeonエゴマ畑)





第3の事件で犯人は味をしめたのか? それとも事件に触発された別の人間の仕業なのか? 事件2日後の12月14日にまたもや強姦殺人が行われました。 今回の被害者も若い女性(23)・李さんでした。

この事件の被害者も第2被害者同様に知人から異性を紹介され付き合う事を考えていました。 この日、お見合い形式で二人は顔合わせを行います。しかしその結果は惨憺たるものとなるのです。

お見合いの席で二人の両親は「若い人達だけにしてあげよう」と気をきかせます。こうして彼らは二人だけの時間を持ったのです。

二人はその楽しさから時間の経つのも忘れてしまいました。 途中で時間に気付いた女性は「もうこんな遅い時間ですから帰ります。」と告げ、一人でバスに乗り帰路につきました。 時間は午後11時になる所でした。

最寄りバス停で下車した彼女は自宅まで後1kmという所まで来ました。しかしそこで何者かによって拉致されてしまいました。 ここが彼女の人生の終着点となってしまったのです。

娘の帰宅が遅いと心配した両親が娘を探すもその行方は一向に分かりません。 

お見合い当日に失踪してから7日が経過した12月21日の事です。 彼女の自宅近くを歩いていた住民が堤防の傍で女性の全裸死体を偶然発見したのでした。

発見された時、被害者女性の顔にはお見合い当日に彼女が穿いていたパンティストッキングが被されていたと言います。彼女もまたその両手を後ろ手に固く縛り上げられていました。

しかしこれまでの被害者の発見当時とは違い、その遺体には彼女が着ていたコートやブラウスが被せられていたのです。

司法解剖の結果、死因は同じく「ストッキングを用いた絞殺」と判明、被害者の遺体は酷く棄損されていたのでした。

損壊部分は被害者の生殖器であり、それは男性のペニスを無理に挿入された時に発生する傷とは違い、何かの異物を無理に押し込まれた形跡が認められたのです。 

警察は使用された異物を彼女の所持品の傘と断定しました。その傘のグリップ部分からは彼女の血液が血痕として確認されたのです。警察は「犯人は自分のペニス以外にも傘のグリップを用いて被害者女性の膣内に何度も何度も挿入を繰り返した形跡がある」と結論付けました。





第5の被害者発生(現場・華城市安寧洞陳雁洞/ Jinan-dongの野山)





第4の事件から4週間が経過し、新年を迎えた1987年1月10日の事です。 この年最初の犠牲者が発生してしまいました。今回の犠牲者は19歳の女子高生(※)でした。

※ 韓国では年齢の数え方が日本とは違う事があります

高校卒業を間近に控えた彼女は記念に同級生らと楽しい思い出作りをしようと計画します。そして水原北門で遅い時間まで遊んでいました。 時間は既に午後9時を回ってしまいました。慌てた彼女は水原市から華城市まで帰宅する為、路線バスを用いました。

自宅最寄のバス停で下車した彼女は他の犠牲者同様に堤防沿いの道を歩いて帰宅する所を拉致されました。両親は娘の帰りが遅い事を心配しましたがその不安は的中してしまいました。

翌日の10日早朝に農夫が田んぼに干していた稲わらの点検中に何かが稲わらの中に隠されている事に気付きます。 「なんだろう?」 そう思った農夫が稲わらの山の中を覗き込むとそこに白い女性の肌が見え隠れしていたと言います。

警察が到着し遺体の状況を確認すると、彼女の遺体はブラジャーを用いて両手は後ろ手に縛られており、穿いていたズボンは膝辺りまで下げられた状態でした。 しかし不自然な事にその被害者の両足は靴下も靴も脱がされていたのです。

司法解剖の結果、死因は生前に身に着けていたショールを用いた絞殺であると判明しました。 そして被害者女子高生の膣内からは犯人の精液が検出されたのです。

しかし警察は一連の強姦殺人事件との違いに着目します。 これまでの被害者は全裸もしくは全裸に近い状態で強姦された後放置されていたのです。 しかし第5の事件の被害者となったこの女子高生だけは衣類を完全には剥ぎ取られていません。 

これまで発生した事件との共通点は「犯人の精液から検出した血液は全てB型である」という事だけでした。





第6の被害者発生(現場・華城市安寧洞陳雁洞/ Jinan-dongの小高い山)





1月に発生した第5事件から4か月が経過した1987年5月2日に第6の事件が発生してしまいます。
事件当日は強い雨が降っていました。 夫想いの妻・朴さんは帰宅する夫を迎えに雨の中一人で近所のバス停に向かいます。

時間は既に午後9時30分を回っていたので寒村のこの村ではバス停や路上に通行人の姿など見受けられません。
運の悪い事は続くものです。 普段なら夫は午後9時半頃の帰宅が日課でしたが、この日ばかりは午後11時という遅い時間に自宅最寄のバス停で下車したのです。 この差1時間30分。その1時間30分の間に妻は何者かによって拉致され連れ去られます。空白の1時間30分でした。

夫は直前までそのバス停で自分の帰りを待っていてくれた妻の行動などつゆ知らず、一人で雨の中自宅に向かって歩いて帰りました。

しかし、帰宅した夫は自宅に妻が居なかった事を不審に思わなかったそうです。「何処かで息抜きに遊んでいるんだろう」そう考えてしまいました。

その日妻の帰りを待たずに一人で寝てしまった夫ですが翌朝目が覚めると隣に妻の姿がない事に気付きます。流石に心中穏やかではなかった夫ですが警察に妻の失踪届を出したのは更に一日を要しました。

失踪二日目の5月4日になってになって警察は女性の失踪届を受理する事になります。警察が聞き込みを開始した直後、直ぐに目撃者が現れました。 「5月2日の夜遅い時間帯にあのバス停で傘を差して誰かを待っているような女性を見かけた。時間は確か、午後10時頃だったかな?」

これで警察は失踪した妻が同時刻にバス停で夫の帰りを待っていたという事実を掴む事が出来ました。よって妻は午後10時から午後11時の間に連れ去られた可能性がある」と推測出来たのです。

慌てた警察は周辺の捜索を開始しました。すると捜索開始から間もなく田んぼの中から女性ものと思われるサンダルの片方を発見します。 警察はその時点で「失踪した女性は拉致されている」と判断したのですがその行方は掴めませんでした。

そして事件発生から1週間が経過した5月9日の事です。 週末土曜日という事もあり子供達が遊ぶ姿が戸外のあちらこちらで見られました。

その子供らの集団が村の墓地に辿り着いたその時、墓地の外れの草むらの中に人間が倒れているのを発見したのです。
子供らが発見した時、女性の息は既に絶えていたそうです。その姿は上半身裸で両手は後ろ手に縛られた姿で地面に置かれていました。 首には生前に彼女が着用していたブラジャーがきつく巻き付けられていたそうです。

そのブラジャーの上からブラウスが首に巻き付けられていた事も分かりました。その姿を見てパニック状態になった子供らは直ぐに自宅に戻り警察に通報をします。

警察が遺体の状況を確認した所、上半身裸であるも下半身にはズボンが穿かされていたのです。一連の事件との不整合がここでも認められました。

女性の遺体の上には夫の為に持って出た傘が無造作に置かれていました。もう1本の傘は遺体の直ぐ近くに放り捨てられていたそうです。

司法解剖の結果、妻の着衣からは夫以外の男性の精液が検出されます。しかしこの第6事件では一連の犯人のB型血液とは大きくかけ離れたA型の血液が検出されてしまったのです。 この事実から警察は模倣犯が存在するという推測に確信を持ったのでした。

その他に回収できた遺留品として犯人の物と思われる運動靴の靴底痕が現場で発見されています。そのサイズは24.5cmだと判明しました。 この事実を基に警察は「犯人は小柄な成人男性である可能性が高い」と推論します。こうして警察は地元住民の中から小柄な成人男性の割り出しを急ぐのでした。




第7の被害者発生(水原市華西駅近くの田んぼ)





その年が終わりに近付いた1987年12月24日の事です。またもや事件が発生しました。
今度の被害者は18歳の少女でした。 彼女も強姦された後に殺害されています。

遺体発見当時、被害者少女はうつ伏せの状態で放置されていました。 その下半身の着衣は全て剥ぎ取られており少女の膣内からは犯人の物と思われる精液が残されていたのです。 分析の結果その血液型はB型と判明しました。 ここで警察は容疑者2名の身柄を確保するのですが内一人は警察側の用意した証拠が不十分として釈放になります。もう一名は脳溢血で死亡し逮捕には至っていません。





第8の被害者発生(八灘麺ガジェリの小高い山)





1988年9月7日になると8人目の犠牲者が発生してしまいました。 今回の犠牲者は54歳のアンさんでした。

事件当日も彼女は水原市内の飲食店で働いていました。 その飲食店は彼女の長男が経営する店でした。 当日の午後9時頃、水原市内から路線バスに乗り自宅最寄のバス停で降りたアンさんは田んぼのあぜ道を通り自宅に向かいます。そこを最後に行方が分からなくなりました。

その晩帰宅しなかった妻を心配した夫は翌朝、水原市に住む息子や親類の家に電話で確認を取りました。しかし誰も彼女の行方を知っている者は居ません。

長男からの「7日の晩に一人で自宅に帰って行った」という事実を掴んだ夫は近所の住民の協力を得て自宅周辺やバス停周辺を探し回りました。

すると捜索に協力してくれた住民が草むらの中から変わり果てた姿の女性を発見したのです。 女性の遺体は血まみれで、遺体周辺にも大量の血痕が認められたのです。

犯行ではこれまでの事件と共通した手口が用いられていました。被害者は両手を後ろ手に縛り上げられその口の中には彼女の穿いていた靴下とハンカチが無理やり押し込まれていたそうです。

司法解剖の結果、死因はブラウスを用いた絞殺(窒息死)であると判明したのです。 検視官が彼女の遺体をくまなく調べるとその膣内からまたもや桃が挿入された状態で残されていた事が判明したのです。

捜査の結果、犯人は殺害現場で桃を食べていた事も分かりました。犯人はその桃を被害者の膣内に無理やり押し込んでいた事から被害者の膣は酷く損傷を受けていたそうです。

警察の推論はこうでした。
「被害者は拉致直後に強姦されていた。強姦後にブラウスを使って絞殺されている。犯人はその前後いずれかに現場で桃を食べており、その残りを彼女の膣内に靴下と一緒に挿入し、その惨い行為を楽しんでいた。」

そして警察はこう結論付けたのでした。
「犯人は被害者を強姦し殺害した後に遺体を凌辱、その後に再び遺体にスカートを穿かせている。」

この事件では彼女を乗せたバスの運転手が犯人と思われる男を乗せていたとの証言を警察は入手したのでした。
運転手によれば「不審な男が水原行きのバスを途中で止めてまで乗車して来た」と言います。しかも「男は同様の止め方を使ってこれまで7回程現場近くでバスに乗車して来た」事も判明しました。

この証言を基に犯人像の絞り込みが行われました。 「犯人は水原市と台安邑の双方の地域で移動しながら強姦殺人を犯している」と推定されたのです。しかしこの証言を得ても警察は容疑者の割り出しに失敗してしまいます。





警察署長の更迭





一連の連続強姦殺人事件は1986年9月15日の71歳女性被害者発生から実に2年が経過しようとしていました。 その間の被害者総数は7名に達しています。

この地区では住民らが恐怖のどん底に陥り警察不信に強い拍車が掛かってしまいました。住民らは夜間の外出に酷い恐怖を覚えてしまったのです。

市民からの批判に晒された警察は犯人検挙に向けて、より一層の注力を行うのですが結果が伴いません。 地元で不審者や前科者の割り出しに全力を上げましたがそのどれもが犯人になり得なかったのです。 これにより警察は地域市民だけでなく国民からの総批判を受ける羽目に陥りました。

その結果、警察庁トップは所轄警察である台安邑の警察署長を左遷させ、別の人物と首を挿げ替えてしまったのです。事実上の警察署長更迭となりました。





同様の被害発生





警察署長更迭により地元の住民らは事件の解決に期待を持つようになりました。
しかし警察署長更迭の甲斐もなく1988年9月16日に強姦殺人事件が発生してしまいました。それは前回の事件から9日しか経過していなかったのです。 犯人は警察署長の更迭劇を嘲り笑うかの如く強姦殺人を犯したのでした。

警察にとってこの9回目の強姦殺人事件は別の意味を持っていました。それは署長更迭劇の直後という事だけではなく被害者の年齢が14歳女子という事だったのです。これだけでも市民が警察を叩く動機に不足はありませんでした。

この第8回目の犯行ではこれまでとは違う犯行手法が行われていました。 今までは戸外での犯行でしたがこの犯行は屋内で行われてしまったのです。

9月16日の朝、娘の起床時間が酷く遅れていた事に業を煮やしてしまった父親が娘の部屋に起こしに行ったその時、部屋の中で下半身裸の娘が殺害された姿で放置されていました。

通報で駆け付けた警察官が見たその娘の顔には強姦された時に激しく抵抗し、流したと思われる涙の痕がはっきりと認められたと言われています。 その涙は被害者の顔や布団を濡らしていたのです。

司法解剖を行った検視官によれば「死因は絞殺によるものと推定される」としました。 娘の部屋を鑑識が隈なく探した所犯人の物と思われる遺留品の回収に成功したのです。 それは犯人の頭髪と陰毛であると判明します。 

これらの毛髪や陰毛からは化学物質の成分が検出されました。その成分の組成から犯人像の割り出しが行われた結果「犯人の職業は塗料を扱う業種」と推測されました。

警察はこの事から「犯人は建築現場で塗装を行う業者、または溶接工場の従事者である」と推定しました。

この捜査では警察の要請により市内の30か所以上の工場に対して「作業員の体の組織の一部を検体として提出するように」との要請が行われ実行されています。 その検体として提出されたのは毛髪と陰毛であったとされます。

この結果、地元の農機具販売店の従業員1名を警察は逮捕しました。 その逮捕理由として警察は「犯行現場に残されていた毛髪、陰毛と任意提出を受けた毛髪、陰毛に非常に似通った点が認められた」としました。

取り調べの結果、男は「あの14歳の女子学生に恋心を持っていた」「事件当夜にあの女子学生に夜這いを掛けようと部屋に侵入したのだが肉体関係を持とうとした瞬間拒まれ抵抗されてしまった。 慌てて女学生の首を絞めてしまった。」と供述を行っています。 これで一連の強姦殺人事件は終結をみたかと思われたのですが、その容疑者の逮捕後も連続強姦殺人は待ち構えていたのです。





第9の被害者発生





前回の農機具販売店の従業員を逮捕した後、同様の事件は鳴りを潜めていました。しかしそれは2年間の沈黙を破ってしまうのです。

1990年11月15日の事です。 その夜、14歳の女子中学生が夜になっても帰宅しない事に不安を覚えた両親は警察に捜索願を提出します。

警察と家族は少女の友人や同級生らに片っ端から電話で問い合わせを行うも誰も少女の行方について明確な答えを出す事が出来ません。 そして警察は嫌な事件の記憶が蘇るのでした。

警察も家族も15日の晩から夜通しで少女を探し回りました。 自宅周辺だけでなく同年代の少女が立ち寄りそうな場所まで隈なく探したそうです。しかし少女は見つかりません。

一夜が明けた翌16日の朝、少女を探していた親戚が自宅近くの小高い山の中で失踪した少女を見つけました。その時既に少女は息絶えており下着類は着用していた状態であった事が分かっています。

少女発見の一報を受けた警察が現場に到着しその遺体の状態を確認すると両手と両足はストッキングを用いて弓なりに体を捻じ曲げられて縛られていたのでした。いわゆるエビ反り状態です。その両足は後ろに折り畳まれた状態で見るも無残な姿でした。

遺体は半裸状態であり、その遺体の上には学校の制服が被されていたとされます。

確認の為に警察官がその制服を外すとその体のあちらこちらに複数の刺し傷が認められたのです。 司法解剖の結果、少女の体のあちらこちらに出来ていた傷は鋭いナイフと彼女が所持していた文房具のボールペンやお弁当箱と一緒に持ち歩いていたフォークとナイフによる刺し傷だと判明したのでした。

少女の胸はナイフを用いて数10回程突かれていた事が分かりました。 少女の膣内にはお弁当用フォークやナイフなど複数の異物が挿入されていた事も分かっています。

検視官が少女の胃を切開した所、内容物として未消化のお弁当のご飯やおかずが発見されたのでした。 少女は事件当日の朝、朝ご飯でチャプチェと呼ばれる韓国料理を食べていました。 そのチャプチェは学校へもお弁当として持って行っていたのです。

この事実から警察はこう結論付けました。
「犯人は少女を拉致した後、最後の晩餐を与えてから強姦し殺害したと思われる。」

この警察の推論は韓国の国民世論を著しく触発するのに不足はありませんでした。 こうして地元市民だけでなく韓国の国民は警察批判という行動に出てしまったのです。

検視官は少女の遺体から検出した犯人の精液を分析した結果、一連の事件と同じB型が検出されたと発表を行っています。無論この検出した精液も日本の研究機関に送ってDNA分析を依頼していました。








第10の被害者発生(華城市東灘面/ Dongtan-Myeon の小高い山)




女子中学生強姦殺人事件の後、犯人は身を隠すように犯行から遠ざかっていました。前回の事件から7か月が経過し1991年になっていました。 この年の4月4日、またもや犯人はその手を血で染めてしまいます。

10人目の被害者となったのは69歳の主婦・クォンさんでした。 クォンさんは水原市に住む娘の家に遊びに行きました。同日午後6時30分、娘の家を出て暫く市内を散策、そして午後8時頃の路線バスに乗り自宅に帰ろうとしました。

1時間後の午後9時頃、自宅最寄のバス停で下車した主婦は近道をしようと郊外の林の中の小道を横切って帰ろうとしました。 そこで待ち構えていた犯人と主婦は出くわしてしまい拉致され強姦されてしまったようです。

田舎町という事もあり、街灯の数にも限りがあって犯行は容易だったようです。 主婦は2日後の4月6日に遺体となって発見されたのです。

この第10事件ではこれまでの被害者とは違ったアプローチで犯行が行われていました。 例えばこれまでの被害者は両手を後ろ手に拘束された状態で強姦され殺害されていたのですが、この第10の被害者だけは両手の拘束を受けていなかったのです。

また一連の被害者らは口内に下着や靴下などを無理やり押し込まれて悲鳴を上げられない状態で強姦され殺害されていましたがこの被害者に限っては顔に下着を被されたり、口中に下着や靴下を押し込まれた形跡すらなかったのです。

但し共通点としてこの第10の被害者も強姦後に膣内に靴下を挿入され殺害、または殺害後に膣内に靴下を挿入されていた事が分かっています。直接の死因は「素手で首を絞めた事による窒息。絞殺である。」と判明しました。

その殺害手法だけでなく、被害者の膣内からは犯人の物と思われる精液が検出されたのですがこれもB型を示しており、一連の強姦連続殺人で被害者の膣内から検出されたA型またはB型の血液という点でも一致をみました。

韓国の警察は第10の被害者から採取された犯人の精液も日本の研究機関に送ってDNA分析を行っています。

これらの事実から華城連続殺人事件では最低でも2名の犯人が存在していた事になります。これら複数の犯人が同一地域に出現してしまった大きな理由として「一連の事件がTV、ラジオ、新聞などで大々的に報じられてしまい、それを見た者が模倣犯を行った」と考えられています。




終息




1991年4月4日の第10の事件で華城連続殺人事件は終息となりました。 その後同地区では同様の事件が鳴りを潜めたのです。

その理由として「犯人は病死などでこの世には存在していない。または何らかの理由でこの土地から去って行った。」と考えられています。

犯行に共通した手口として「絞殺」とその道具として「被害者の衣類を用いる」という共通点が存在しています。また殺害した被害者の肉体を酷く棄損するという行為も共通しています。




容疑者カン・スンホン




華城連続殺人事件では最大の容疑者としてカン・スンホン(1969年生まれ)が警察から目を付けられていました。

カン・スンホンは京畿道軍浦で連続殺人事件を手掛けた凶悪犯としてその名を知られています。彼は2004年~2009年に掛けて京畿道で犯行を繰り返していたのです。

その手口は華城連続殺人事件と非常に手口が似通っており、
「バス停でバスを待っている女性を物色、襲撃」
「強姦後、脱がした着衣で絞殺(3人)」
「遺体は山中や空き地に隠す」
などの手口を駆使していたのでした。 バス停留所では被害者に車で近付き「何処まで行く? 〇〇方面? なら乗って行くか?」と話し掛けていたそうです。

カン・スンホンは「2006年12月の事件を皮切りにたったの25日間で合計5名の女性を強姦殺人した」と自供を行いました。

しかし警察はその立証に手間取ります立件できただけでも「2年間で合計7名が強姦殺人の被害を受けた」としました。
その犯行場所は華城市や水原市であった事も一連の事件との共通性が指摘されています。




オカルト捜査とオカルト話





この事件の捜査で手詰まり感を感じた警察はとうとう占い師にまで頼ってしまいました。その占い師は警察署に対して「風水によれば警察署の位置が悪過ぎる。だから良からぬ災いを呼び寄せる。」と告げます。そして警察署長はその言葉を信用してしまい、警察署の構造物の位置を変更してしまいました。

一向に犯人逮捕に至らない警察に不満を抱いていた世間ではとうとうオカルト話が流布されてしまいます。それは「雨の日の晩に赤い色の服を着て外出すると連続殺人鬼に強姦され殺される。」という話です。 当時、この噂が華城や水原だけでなく韓国全土で広がり、衣料品店では「赤い色の衣類の売れ行きが激減した」と悲鳴を上げていました。 しかし実際には華城連続殺人事件の被害者の中で赤い色の服を着ていたのは1名だけでした。



容疑者の自殺多数発生




当時の韓国の警察は事件発生当時に同地域に移住する男性の多くを容疑者扱いしていた事が分かっています。 警察が容疑者として扱った人数は3,000人にも上りました。

1990年11月15日の14歳少女強姦殺人事件では被疑者として38歳男性が警察の取り調べを3回に渡り受けていました。その男性は取調べ苦を理由に鉄道自殺を行いこの世を去っています。

また1991年4月3日の69歳主婦強姦殺害事件では32歳男性が嫌疑を受け、それを理由にアパートの屋上から投身自殺を図りこの世を去ってしまいました。

1987年12月24日に発生した第7の事件では容疑者扱いされた男性が実家の墓地で首つり自殺を行ってこの世を去っています。華城連続殺人事件ではその他にも嫌疑を掛けられた人間が取り調べ苦を理由に相次いで自殺しています。

運命は警察官にも同じ轍を踏ませました。 華城連続殺人事件捜査本部に身を置いた警察官の中からも自殺者が多数発生、後を絶ちませんでした。



当時警察が作成した似顔絵と情報




迷宮入り




この事件で警察が行った警察官投入総数は一説には延べ205万人と言われており、容疑者数は3,000人、参考人18、280人、DNA採取と分析570人、毛髪採取と分析180人、指紋判定4万116人でした。 DNAを日本に送付しての検査は3事件分以上でした。

華城連続殺人事件では一連の事件に便乗したと思われる男1名のみが逮捕されていますが、本件の犯人は逮捕されてはいません。

本件は第1の事件(1986年9月15日)から第10の事件(1991年4月3日)だったので韓国の刑事訴訟法第249条に基づいて
順次時効が適用されました。  

第1事件の時効適用日は2001年9月14日、第10事件の時効適用日は2006年4月2日です。



---- 以下記事追記(2019.09.20)----




DNA再検査の結果、真犯人が判明?



2019年夏、京畿道南部地方検察庁は過去に発生していた強姦殺人事件の内、未解明の事件の洗い直し作業に着手していました。 20年前の韓国警察はDNA分析技術を持たず日本の研究所にDNAを送り分析の依頼をしていましたが現在では韓国の警察でもDNAの分析ができるようになったからです。

その結果、2005年の水原での殺人事件、2011年の富川での女性遺体事件、そして1986~1991年の5年間で10名が強姦殺害された華城連続殺人事件で現場から採取、保管していたDNAと現在韓国の警察がデータバンクに保管している性犯罪者のDNAに一致性が見られたのです。

華城連続殺人事件では第5回、第7回、第9回の事件で被害者の体内などから犯人の精液が検出されていましたが、この精液に含まれるDNAと同じ型のDNAの持主情報が韓国の警察のデータバンクに記録されている事が分かりました。



犯人は現在釜山刑務所で服役中の受刑者・李



DNAに一致性が認められたのは李という男でした。現在、李は釜山刑務所に無期懲役刑で服役中の身でした。

李が服役している理由ですが、1994年当時の李は結婚して忠清北道清州に妻と一緒に住んでいたのです。その年の1月、李は自宅で妻の妹Pさん(当時20歳)を強姦し殺害していました。

この強姦殺人の容疑で李は逮捕され最高裁まで争う事になるのですが無期懲役を言い渡されています。 現在(2019年9月時点)で李は第1級模範服役囚として釜山刑務所から認定される身分です。

しかし李は「華城連続殺人事件の犯人か?」という尋問に対して「俺はあの事件とは無関係だ」の一点張りです。



時効決定後なので裁く事も出来ず



こうしてDNAの一致が確認出来たというのに韓国の司法では李を華城連続殺人事件の犯人として裁く事が出来ません。それは時効が決定した後だからです。前述の通り、華城連続殺人事件の時効は第10回事件の時効が今から13年半前の2006年4月2日に迎えていたからです。

最後の事件から29年目となった現在、例え李が真犯人だと結論付けられた所で被害者の恨みや被害者家族の恨みを晴らす事は不可能となってしまいました。 残された家族にとっては辛い知らせとなってしまったようです。


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