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ドロシー・ジェーン・スコット失踪事件

05 06, 2019
ドロシー・ジェーン・スコット(Dorothy Jane Scott、失踪当時32歳)は1948年4月24日、米国カリフォルニア州で生まれました。

周囲の評判も良かった彼女でしたが1980年5月28日、32歳となった彼女は息子と同僚らの前から姿を消します。そして二度と戻らない人となるのです。



ドロシーの失踪を伝える新聞記事






シングルマザー



失踪したドロシーは4歳の子供(ショーン・スコット)を持つシングルマザーとして働いていました。彼女にはショーンと叔母との3人で暮らしていたのです。両親とは別居状態でしたがその両親の住むアナハイムの家から車を利用すれば僅か20分足らずの場所にあるスタントンという名の街で暮らしていました。

そんな彼女はSwinger's Psych ShopとCustom John's Head Shopにて秘書業で雇用されていました。会社の同僚らの間でも「ドロシーは真面目で周囲の人に対しても思いやりのある対応が出来る人柄だった」と話しました。また彼女の両親も娘ドロシーの性格を「自らが進んで人に何かを与えられる女性だった」と話します。







1980年5月28日。
会社に行っていたドロシーですが途中から会社を退社してしまいます。それは酷い炎症を起こした息子を病院に連れていく予定があったからに他なりません。退社した後、彼女は昼間自分が働いている間だけ息子を預けていた両親の家に立ち寄りました。そこで息子を引き取りそのままアナハイム地区にある病院へ向かったのです。この時既に日は暮れており周囲には夜の闇が広がっていました。 この時、会社の同僚ら二人が心配してドロシーに付きそっていました。

医師は彼女の息子の炎症の原因を突き止めました。
「彼の腕の酷い炎症は毒蜘蛛に噛まれたものです」

午後11時頃、彼女は息子と同僚らと共に病院を後にします。治療が終わった後、ドロシーはトイレに寄った後、自分の車を取りにひとり病院の駐車場へ向かったのです。

所がそのドロシーがなかなか戻らなかったので同僚らは心配しました。そして彼女の車が駐車されている病院駐車場へスコットを連れて向かうと何者かが運転するドロシーの愛車1973年型トヨタのステーションワゴンが急加速して眼の前を疾走して行ったのです。そしてそのままドロシーの愛車は駐車場を右方向へと出た後、行方が分からなくなりました。



車が燃えている



数時間その場でドロシーが戻るのを期待していた同僚らでしたが彼女が戻る事はなかったのです。 こうして心配した同僚らは「ドロシーの身の上に何か悪い事が起こったのかもしれない」と考え、彼女の両親と地元警察に通報を入れました。しかしその後もドロシー本人からの連絡は途絶えたままです。

翌日の29日、病院から10マイル程離れた路地裏でドロシーの愛車、白のステーションワゴン(トヨタ)が燃やされているのが発見されます。 時間はドロシーが行方不明になった僅か6時間後の事でした。

警察が鎮火した後の白のステーションワゴンの中を調べますが、車内にドロシーの遺体は存在しません。骨一本すら見つからなかったのです。こうなるとドロシーを連れ去った何者かが証拠隠滅目的で彼女の愛車を燃やしたとしか考えられなくなったのです。




その年の夏・・



ドロシーが家族を置いて行方不明なったまま早3ヶ月が過ぎ去ろうとしていました。 8月6日、サンタアナ渓谷沿いの建設現場で人骨の一部が置かれているのを建設作業員が偶然発見したのです。それは彼女が失踪した病院から13マイル程離れた場所でした。




白骨発見現場の写真入りで事件を伝える新聞記事





「あれは犬が人間の骨をくわえていたんだ」「おかしいなと思って周囲を確認したら人骨の一部が次々と見つかった。それは頭蓋骨、骨盤、大腿骨、腕の骨などであった。」
最初にそれを発見した建設作業員はこのような証言を行いました。

警察はその骨を「以前この辺りで発生した山火事の犠牲者の骨を野良犬が咥えてきたのだろう」と安易に考えてしまいますが、その場所には腕時計と一緒に指輪までもが一緒に置かれていたのです。

また遺骨と同時に発見された腕時計の針はドロシーが失踪した翌日の5月29日午前12時30分で針と日付が止まったままの状態でした。どうやらこの腕時計を所持していたこの人骨の主は2年前に失踪したと推測されたのです。

この遺骨は検視官の下に運ばれ分析が行われたのですが白骨化した骨の断片からはそれが虐待死や暴行死によるものとは断定不可能でした。警察は頭蓋骨の歯型を街の歯科医の持つ記録との照合を開始します。 すると以前ドロシーが通っていた歯科医に保存されていた治療記録と同一である事が判明したのです。勿論その治療記録の患者名にはドロシーの名前が記載されていました。これで失踪したドロシーは失踪当時となる2年前に既に殺害されていたと分かったのです。



死因不明、そして謎の電話が



ドロシーが失踪した丁度1週間後から何者かがドロシーの両親の下に電話を入れてきたのです。
「あなたはドロシーを知っていますか?」
両親が
「ドロシーは私達の娘です。彼女の事を知っているのですか?」
と問い返すと電話の向こう側の男は話を続けます。
「ドロシーは私が捉えた」
その声は聞き覚えのない男の声でした。そしてこう話を続けたのです。
「ドロシーを殺してやった」
恐ろしくなった家族は直ぐに警察に知らせたのですが、その電話の主の正体すら警察はつかむことが出来ません。そして時間だけが無駄に過ぎ去ったのです。

謎の男は毎週水曜日になると同じ内容の電話を繰り返し掛けて来ました。




家族までもが警察から疑われる



悲惨な事に娘を失った家族は警察組織からも疑いの目を向けられてしまいました。最初に疑われたのは父親でした。 その父は自分の潔白を証明しました。アリバイを証明する事で自分に掛けられた容疑が事実無根であるという事を警察に認めさせたのです。何故ならドロシーが行方不明になったその日のその時間帯、父は生まれ故郷のミズーリ州に滞在していたからです。ミズーリ州とカリフォルニア州を瞬時に移動するのは無理な話でした。

次に疑われたのは当日ドロシーと共に行動をしていた同僚らでした。しかし彼らの容疑もそれからしばらく後に晴れたのです。

警察の捜査の甲斐もなくドロシーを殺害した犯人が逮捕されず現在に至ります。そしてドロシーの両親の下に脅迫電話まがいの電話を掛けてきた人物に関する詳しい情報すら警察は掴むことができなかったのです。 全ては謎のまま闇に葬られてしまいました。



Posted in 米国
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Author:chopitonews
海外の歴史的事件や重大事故を記録しています

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