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同胞による大量虐殺 「ペスカマ号反乱事件」

05 23, 2019
遠洋マグロ漁船「ペスカマ号」の中で行われた反乱事件。反乱グループの主なメンバーは中国人(朝鮮族)でした。彼らは韓国籍の船長や船員らの酷い扱いに耐え切れず、「あいつらを殺して海に投げ込んでやろう」と計画、そして実行してしまったのです。 彼らに対するペスカマ号の韓国籍船長や韓国籍船員らの扱いは酷いもので睡眠時間は一日僅か4時間程度、しかも薄給、その上四六時中大声で罵声を浴びせる酷さでした。








釜山を出港して・・



1996年6月7日。ホンジュラス籍のペスカマ号(254トン)は釜山南港を出港しました。この時点で乗組員は韓国籍7名とインドネシア籍10名でした。

8日後、ペスカマ号はグアム島に寄港、そこで中国人(朝鮮族)の船員7名を乗船させ南太平洋に向かったのです。翌月の8月。ペスカマ号で病人が発生、同海域で操業していた仲間の遠洋漁船から見習い機関士を追加で一名補充したのです。



反乱開始



しかし韓国籍の船長や乗組員らの横暴に耐え切れくなった中国人(朝鮮族)の船員らは密かに相談し韓国籍の船長と船員を殺害する計画を立て実行に移す事にしました。

8月6日。パプアニューギニアの東海域で操業していたペスカマ号の中で中国人(朝鮮族)の船員らは手に手に武器を握り締めていました。それはマグロを引っ掛ける道具ギャフであったり、中華包丁やナイフ、そして棍棒でした。

最初に騙されて誘き出されたのは韓国籍の船長K(33)です。 「他の船からの無線連絡が入っています」そう伝えられ騙された船長Kが室内に入るとそこに武装した中国人(朝鮮族)が鬼のような形相でこちらを見ていたのです。

Kは中国人(朝鮮族)の手により惨殺されてしまいました。その後も彼らは韓国籍の船員をひとりづつ騙して誘き出し殺害を繰り返して行きました。 中には殺さずに夜の海に生きたまま突き落とされた韓国籍船員もいたのです。 遺体は例外なく全て海中に投棄されてしまいました。

この殺害にはインドネシア船員3名も加担してしまいました。その理由は「脅かされて仕方なく」というものでした。

しかし中国人(朝鮮族)の中には「俺はそんな事に手を貸したくはない」と拒否した者が一名存在していたのですが彼は裏切り者として処刑されてしまいます。 こうしてこの晩ペスカマ号の中で韓国籍8名を含む合計11名が殺害されてしまいました。



漂流



朝鮮族は操船に必要だとして韓国籍の操舵員一名(一等航海士)を殺さずにおきました。 そして犯行現場となったサモア海域から離脱、北上して行くのです。所がペスカマ号は釜山には向かわず東京に向けて移動を開始していました。 

この頃、ペスカマ号をチャーターした韓国の水産会社では同船との無線交信が8月6日以降途絶えたままなので心配し釜山海洋警察庁に相談をしていた最中でした。

8月13日にはサモアの中継港に寄港し食料や水、そして燃料などを補給する予定でしたが同船は何故かそこに現れなかったのです。



鎮圧



北上を続けるペスカマ号の中では韓国籍一等航海士とインドネシア籍船員が協力し、反乱グループの隙を突いて彼ら反乱グループを船内の一室に閉じ込める事に成功しました。彼ら反乱グループは獲った魚を保存する魚倉に監禁されてしまったのです。


そして8月24日午後6時30分、東京湾の南海域を漂流しているペスカマ号は日本の東京都漁業指導船「みやこ」に発見され海上保安庁に通報されてしまいました。 第3管区海上保安本部は特殊警備員総勢12名を伴い巡視船2隻(しきしま、うらが)を急行させたのです。






海上保安庁の職員らがペスカマ号に乗り込むとそこで監禁状態に置かれていた朝鮮族船員6名を発見したのです。 船の中で自由を許されていたのは朝鮮族1名とインドネシア籍6名だけでした。

こうして海上保安庁は大量殺戮事件が発生していたペスカマ号の拿捕に成功したのです。



韓国側から身柄引き渡しの要求が



日本政府は韓国側に「ペスカマ号を拿捕した。船の中で反乱が行われ殺戮が行われた模様だ。」との通知を入れたのです。

これに対して韓国の釜山海洋警察庁は「ペスカマ号と乗組員全員を韓国に引き渡してほしい」との要請を入れて来ましたが、この事件には韓国だけではなく中国やインドネシア、ホンジュラスなど合計5か国が関わっていた事から日本の外務省は「我が国に捜査の主権がない為、韓国政府は船舶の籍を持つホンジュラス政府と話し合いを行い、同意さえ取れれば公海上にて同船と乗組員の双方を引き渡す用意がある。」と返答を行ったのです。

同月28日、事態は急変します。同意が取り付けられない状況下で韓国側への引き渡しが決定されてしまいました。



引き渡し



ペスカマ号は再び移動を開始しました。それは航海に向けてです。韓国側では8月26日にペスカマ号の移動が開始されたと言われています。




救難艦「太平洋」




公海上に移動したペスカマ号と乗組員全員を待ち構えていたのは韓国の救難艦「太平洋」でした。そこで船体と乗組員は海上保安庁から韓国側に引き渡されたのです。

その後、ペスカマ号と救難艦「太平洋」は釜山に向けて航行を開始、8月31日に釜山の港に入港したと言われています。



裁判開始



1996年12月24日、彼らは暴行罪、強盗殺人罪、遺体遺棄罪などの容疑で釜山地方裁判所に引き摺り出されてしまいます。 そして同日第一審判決は朝鮮族6名全員(全在千、崔日奎、白忠範、李春勝、崔錦浩、朴君男)に対して死刑判決を下したのです。 しかし朝鮮族らはこれを不当だとして裁判のやり直しを求めました。

続く第二審判決では死刑1名(全在千)、残りの5名は減刑され無期懲役刑が言い渡されたのです。この判決も不当だと上告した彼らですが最高裁ではその上告を棄却、原審の判決が適用されてしまいました。



大統領恩赦



所が理由不明な大統領の恩赦が彼らに適用されてしまいます。 そして死刑から無期懲役刑に減刑された彼らは今尚韓国の刑務所の中で生きる事を許されているのです。 この恩赦について韓国人らは「政治的な動きが背後で行われた結果であろう」と考えています。

そして朝鮮族の反乱に手を貸してしまったインドネシア籍船員への処分は不起訴でした。


Posted in 韓国
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Author:chopitonews
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