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ミステリー キャロル・ディアリング号遭難事件

06 27, 2019
キャロル・ディアリング号の遭難事件は20世紀の海事事件のひとつです。当時、キャロル・ディアリング号は貨物船として設計された大型帆船でした。


諸元 全長225フィート 全幅25フィート






1920年08月19日




キャロル・ディアリング号は石炭をブラジルのリオ・デ・ジャネイロまで運ぶ航海を任されました。この時の船長は第一次世界大戦の英雄ウィリアム・H・メリット (William H. Merritt)でした。 彼は第一次世界大戦の最中、Uボート(U-117)からの魚雷攻撃を受けた帆船から乗組員全員を救出した英雄として称えられた人物です。 その息子であるスーワル(Sewall)も父メリットと共にキャロル・ディアリング号に乗り込みます。 その他に外国人船員10名が彼らと共にリオ・デ・ジャネイロに向かう予定でした。



U-117





1920年08月22日




米国のニューポート・ニューズ港から出港したキャロル・ディアリング号でしたが直後に船長が急病に倒れます。 心配した息子スワルと共にデウェア州ルイスの港に船を寄港させそこで下船してしまいました。 これが彼らの運命に大きく影響を及ぼす事になるのはこの時誰も気付きません。

ここでキャロル・ディアリング号は必要な代理船長を探す事を強いられます。 そして船長としてウィリアム・B・ワーメル(Willis B. Wormell大尉)を採用、 チャールズ・B・マクレラン(Charles B. McLellan)一等航海士も併せて採用されたのです。

こうして新メンバーを仲間に迎え入れたクルーらは目的地リオ・デ・ジャネイロに向かうのでした。





1920年09月08日




2週間後、キャロル・ディアリング号は無事にリオ・デ・ジャネイロに到着、積荷の石炭を降ろしました。一仕事終えた彼らは港町のバーに繰り出します。所がここで一波乱起きます。 代理船長ワーメルが現地の港で偶然知人の船長グッドウィンと遭遇、そこで船員らの批判を繰り広げてしまいました。 この航海でのワーメルは部下との折り合いが上手く付けられなかったようです。







1920年12月02日



ワーメルが指揮を執るキャロル・ディアリング号は次の目的地であるバルバドスの港に寄港していました。 今度は船員側が船長の批判をこの港街で繰り広げ大騒ぎを起こします。

一等航海士マクレランはこの港町の酒場でスノー号の船長相手にワーメルの批判を繰り広げてしまいました。
「あいつは無能な男だ。 俺があいつの仕事までやっているんだ。」

「ノーフォークに戻る前に俺があいつをやっつけてやる。 そして俺が船長になってやる。」
この発言が警察に通報されます。反乱を企てた容疑で泥酔状態のマクレランは逮捕されてしまいました。そしてマクレランは翌年まで監獄暮らしを余儀なくされたのです。




1921年01月09日



この日、船長ワーメルは警察に行きマクレランの釈放を要求しました。どうやらワーメルはマクレランの謝罪を受け入れたようです。そしてキャロル・ディアリング号はハンプトン・ローズへ向けて出港したのです。

 


1921年01月28日




この日、ノースカロライナ州ルックアウト岬の沖合で灯台守ジャコブソン大尉がキャロル・ディアリング号を目撃しました。 船上から赤毛の船員がメガホンを用いて彼に何やら大声で呼び掛けています。
「ケープフィア岬の沖合で大きな嵐に遭遇しちまった。 錨をその時に失った。」

その報告を受けたジャコブソン大尉は本部に連絡を入れようとしましたがあいにくその無線機は故障していました。 この事で同船への救助活動は遅れる事になります。



1921年01月31日




この日の夜明け前の事です。 ノースカロライナ州のハッテラス岬の沖合に位置するダイヤモンドショールと呼ばれる海域でキャロル・ディアリング号が座礁している姿を沿岸警備隊の船が偶然発見したのです。

しかしこの日海はシケの状態で救出活動はそれから数日待たねばならなかったのです。 同船が座礁したダイヤモンドショールは大西洋岸ではもっとも危険な海域のひとつとして船乗りらに恐れられていた海域です。








1921年02月04日



4日後の2月4日になって嵐の海は怒りを収めました。 これを待っていた沿岸警備隊は即座に救出船を出動させキャロル・ディアリング号に救出部隊を送り込みます。

救出部隊がキャロル・ディアリング号の船内に入るとそこには人影すら見えません。 彼らが船の操舵室に入ると操舵ハンドルが粉々に破壊されているのが目に入りました。 操舵室からは航行用の測定器や船長がつけていた筈の航海日誌すら何者かによって奪われていたのです。

次に船の厨房に向かった救出部隊が目撃したのは翌日用と思われる食事を作る用意がそのまま放置されていた光景です。どうやら彼らは食事を取る暇もなく何処かへと去ってしまったようでした。

そして船のデッキに置かれていた筈の救命ボートすら失っています。 更に船を調べると船のラダーも破壊されているのが分かりました。

そしてこの日、彼らは乗組員を発見する事は不可能でした。





1921年03月04日




船員の捜索を諦めた関係部局はキャロル・ディアリング号の爆破を実行します。何故ならそのまま座礁させた状態にしておけば別の船の航行の妨げになるからです。

ダイナマイトを仕掛けられたキャロル・ディアリング号は轟音と共に海の藻屑と化しました。 一部残骸はその後近くの浜辺に漂着します。 そして浜辺近くに住む市民らによって回収され建材用として再利用されてしまいました。




原因解明できず




米政府は5つの部局を派遣しキャロル・ディアリング号の遭難理由を探りましたが最終的に事実は解明される事はなかったのです。

推論1 「海賊襲撃説」

海賊に襲われ積荷共々何処かに連れ去られたという仮説が立ちましたが、肝心の海賊は発見されません。

推論2「密造酒運搬説」

当時米国は禁酒法の時代だったのでブラジルから蒸留酒を大量に密輸している最中に事件に遭遇したという仮説です。しかし蒸留酒を密輸していたという証拠は見つからず終いでした。

推論3「暴動説」

一等航海士ワーメルの発言が元になってこの仮説が出ましたが実際に彼が船長を殺害し船の指揮権を奪ったという証拠すら見つかりません。

推論4「ソ連関与説」

旧ソ連が米国の船を拿捕して本国に持ち帰ろうという計画が暴露されたのです。しかし計画自体は本物であった可能性が高いと言われていますがその計画を実行した証拠は見つかりません。

推論5「超常現象説」

キャロル・ディアリング号がバーミューダ海域を航行した際に乗組員全員が異次元の世界にワープしてしまったという説です。 またこの海域でよく見かけられる不思議な飛行体(UFO)によって別の星にアブダクションされて行ったという説です。これは近年になって立てられた仮説です。

このようにキャロル・ディアリング号遭難事件は100年が経過した今でも事実の究明が不可能な状態です。 有名な世界の海事事件のひとつとして本件はその名を残しました。



Posted in 米国
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Author:chopitonews
海外の歴史的事件や重大事故を記録しています

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