FC2ブログ

坪野鉱泉旅館跡失踪事件「肝試しで失踪」

10 25, 2019
今から23年前となる平成8年5月5日(1996/05/05)の事です。こどもの日で祝日だったこの日もBさん(仮名・女性・失踪当時19歳)は勤務先のスーパーマーケットで忙しく働いてしました。 その日の仕事が終了した後、彼女は勤め先の店で乾電池を購入しました。 この買い求めた乾電池を懐中電灯に収めて肝試しに出掛けようと計画をしていたのです。



坪野鉱泉旅館跡


その日、Bさんは同じ店で勤務する同僚に対して「今日、仕事が終わった後、夜の肝試しに行こうよ。」と誘いましたが同僚はそれを気味悪がり断りました。

それでも肝試しが諦め切れないBさんは知人女性のAさん(仮名・女性・失踪当時19歳))に電話連絡を行い「今晩、肝試しに行こうよ」と誘ってしまうのです。

この誘いに乗ってしまったAさんは氷見市内の会社で働く会社員でした。二人は同じ地元高校の同級生同士だったのです。


いざ、肝試しへ


同日午後9時。AさんとBさんは家族に対して「これから肝試しに行ってくるわ」と言い残し、所有する自動車のハンドルを握り家を出て行きました。 家族が娘の姿を見るのはこれが最後になってしまいます。



海王丸パーク


その後、彼女らは地元でも出会いスポットとして有名な海王丸パークに寄り、そこで知人と少しばかりの時間を共にしていました。そして二人は国道8号線を走り続け魚津方面へと向かうのでした。

この日の夜遅く彼女らは知人宛てに1本のテキストメールを送信していました。当時はまだポケットベルが利用されていた時代だったのでこのテキストメールもポケットベル経由で送受信が行われていたのです。 その文面は「いま魚津市にいる」という短い文章でした。ところがこのテキストメールを最後に彼女らからの連絡は途絶えてしまうのです。


失踪


家で娘の帰りを待つ家族らはいつまで経っても娘が帰宅しない事から娘の身を案じ、地元警察署に捜索願を提出しました。

それを受理した富山県警では彼女らが家族に言い残した「肝試し」と知人へのテキストメールの「いま魚津市にいる」という文面から地元でも有名な坪野鉱泉旅館跡に向かったのでは?と想定、捜索を開始するのです。



坪野鉱泉旅館跡


こうして県警は地上班と航空班の2部を編成し、上空はヘリコプターから捜索、地上班は「車が道路を外れて崖下に転落し身動きが取れない、または連絡が取らない場所に彼女らがいるのでは?」という想定から大掛かりな地上捜索を行いました。

しかし上空・地上の両捜索班も彼女らの姿どころか、乗っていた筈の乗用車の行方すら掴む事が出来なかったのです。


バブルの後の夢物語崩壊


彼女が向かったと考えられる坪野鉱泉旅館跡とは昭和最後のバブルの時代に建てられていた温泉旅館でした。 当時この地域では「バブルの影響で一大地域開発が行われる」と取らぬ狸の皮算用が行われた時代に建てられたものでした。

【坪野鉱泉旅館とは?】
・建物構造 → 鉄筋コンクリート造り地上8階建て
・廃業時期 → 1982年倒産
・経営者 → 倒産後失踪、行方不明のまま
・競売 → 1990年11月 富山市内の会社経営者が競売で落札済
・落札価格 → 約3,500万円(建物部分+敷地部分の合計価格)

しかし目論見は外れ坪野鉱泉旅館は倒産。経営者はそのまま姿を隠し行方不明になってしまいました。その後坪野鉱泉旅館は競売に掛けられ富山市内の会社経営者が「その後リゾート開発を狙って落札」しますがこれも目論見が外れて、坪野鉱泉旅館は手つかずのまま放置されてしまいました。

その8年後の平成8年5月5日に会社員女性二名の失踪事件が発生してしまうのです。


不良グループや暴走族の集会場所


地元でもその事件の発生前からこの坪野鉱泉旅館跡には「週末になると地元の不良グループだけでなく、石川県、新潟県、福井県、岐阜県に住む暴走族グループが集結し、旅館の屋上で花火を打ち上げたりしている」と苦情が寄せられ続けていたのです。 



坪野鉱泉旅館跡に続く県道67号 宇奈月大沢野線


坪野鉱泉旅館跡近くに住む民家では「自動車が盗まれた」「道路を走行していると暴走族の車やバイクが猛スピードで追い抜いて行って危険極まりない」との苦情が絶えなかったのです。


事件の後


失踪事件が発生したその年、地元の議会でも「坪野鉱泉旅館を壊して更地にすべき」という意見が出たのですが、個人所有の建物という事もありそれは通りません。 そして事件後、この坪野鉱泉旅館の所有権を持つ富山市内の会社経営者が市側に「同物件を寄付したい」と申し出るのですが、市側では「建物撤去には税金で莫大な費用捻出が見込まれる以上それは拒否する」と寄付受け取りを拒否してしまいました。


新聞の事後報道


彼女らの失踪から丸1年を迎えた平成9年5月4日(1997/05/04)、読売新聞・富山よみうり版」が「少女不明から1年」というタイトルの記事を掲載し始めます。そこで読売新聞は「1年前の当時、坪野鉱泉旅館跡は東北4県(石川県、新潟県、福井県、岐阜県)の暴走族のたまり場であった事を理由に挙げて、失踪した彼女ら2名は暴走族絡みの事件に巻き込まれた可能性が捨て難い」「廃墟となっている旅館は現在窓ガラスが割られ、スプレーを用いた落書きが複数見られる。」「立ち入り禁止の為のロープですら悪戯で切断されており危険な場所である」と報じました。





この読売新聞の報道を受けて北日本新聞でも同事件についての後追い記事を報じています。それによれば「(当時発生していた新潟少女監禁事件の発覚が元になり、平成12年(2000年)に富山県警が事件の再捜査を行った模様。」と報じました。

現在に至るも失踪してしまったAさんとBさんのその後は判明していません。



Posted in 日本
プロフィール

chopitonews

Author:chopitonews
海外の歴史的事件や重大事故を記録しています

最新記事